パニック障害体験記[ 発症,診断まで ]1995年4月から2004年12月

パニック障害発症までの人生…

社会人最初の会社

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社会人最初の会社のイメージ

私は、工業デザインの専門学校を卒業。化粧品やアクセサリーの展示台(ショーーケース)を製作する会社に就職。
社長には、人とのコミュニケーション能力を中心に、仕事を熱心に指導して頂き、今でも感謝している。下請け業者との関係も良く、業績以外は充実していた。しかし、入社2年で人員整理… 。
この会社で、人情味の強いコミュニケーションを教わった事が、今の私の原点でもある。

社会人2社目の前に‥

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社会人2社目の前に‥のイメージ

1社目の会社で知り合った、フリーランスで仕事をされている方の下で、まず3か月間見習いとして働いた。
この期間が、一番自分が成長したと感じる。人生はじめて3徹!業務内容は、MACでの印刷物のデザイン、印刷物・名刺の営業と制作、撮影補助等。

社会人2社目

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クレーンゲームの景品を製造販売する会社に就職が決定。非常に謎の多い会社。使込み、反社絡みの仕事、人事左遷方法な、パワハラ、セクハラ、モラハラなど闇だらけ。給与よりストレスを貰う方が大きい会社だった。
ある時、社員旅行でシンガポールへ行き、人種、宗教感、言葉の違い、街並み、言葉の通じない人の暖かさと冷たさ、人生観、考え方がガラッと変化。帰国後、しばらくして辞める事にした。

社会人3社目:

社会人3社目のイメージimage
社会人3社目のイメージ

2社目でのストレスもあり、私は、金が稼げ、仕事ができる者が凄い事と思い込む。
運送会社のドライバー。営業所では、一、二番を争う忙しい配達コースを任される。朝5時30分過ぎに自宅から出勤、晩は早くて8時過ぎに会社を出るというハードスケジュール。一目置かれる存在になり満足していた。
給料は、非常に良く生活も拡大、趣味も贅沢な事ばかり… 軽い気持ちの借金が、大きくのしかかってくる。そして、仕事うまくいかなくなり次第に忙しさだけ。 ストレスが重くなる‥31歳の9月。

パニック障害発症!

パニック障害の前兆…

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パニック障害の前兆イメージ

31歳の9月頃、慢心な生活でストレスが溜まっていた。少々風邪気味でも会社に行って稼がねばっておもっていた。それが、約1年続いて疲弊していった。配達中に、急にめまい感が‥、でも、何ともなかった。そのうち、頻繁にめまい感を繰り返したが、大丈夫だった。余震みたいな感じか…

パニック障害発症

パニック障害発症image
パニック障害発症イメージ

パニック発作!!突然だった。
昼からの配達に向かってトラックを走らせ、踏切待ち… グラグラ、横揺れ、左に傾くっと同時に凄い動悸!!!
「一刻も早くこの状況から逃れたい‥」踏切を通過して、すぐ左に寄せてトラックを降りる… 動悸が凄い… 手が震えてる…
もう一度トラックに乗る。全然動悸が収まらない…、、 しかし、何とか配達をこなす。 道端で嘔吐…、体の震え、何 何!!!!

少し落ち着いてくる…その間約1時間程度…。
上司に連絡、早退を申し出る。真っ青で営業所へ…  「おう、顔白いぞ!」皆心配してくれるが、それどころではない。
帰宅後、すぐ横になる。動悸はまだまだ…。明日になったら治ってるやろ…。
夜中、何度も動悸で起きる。 妻が心配してくれる。 恥ずかしいが手を握ってもらう…。そのまま朝…。
その日は、欠勤… 。

妻が務めている大学病院にて検査、CT、めまい検査、他いろんな検査… 。 異常なし。 疲れか…。
パニック障害ってこの時は聞いた事無かった。精神疾患なんて、根性が足りないからやろって思ってた。

パニック障害発症1ヶ月目

パニック障害発症1ヶ月目

半月仕事行けたら良い方だった。給料も半減。それでも「たかし、大丈夫か?無理すんな。」先輩は優しかった。尚更辛かった。
当時、実家近くの心療内科で診察してもらい「うつ病」の診察を受ける。「うつ病」か… 。少しホッとしたのもつかの間、向精神薬がめまい感を強くしてくる。「コンスタン」という薬を大量に処方される。それを服用しながらトラックに乗って配達… 。続く訳がない… 。もう、病院にも行けない…

ちなみにこの頃「うつ病は心の風邪キャンペーン」真っ最中。多くの精神科は、名を変えて心療内科へ…。精神科も心療内科でも内容は同じ。
主治医の処方は、症状に対して徐々に向精神薬の血中濃度を上げ、効果を見る様…。それだけ向精神薬は、医者でも怖い薬。

パニック障害発症2ヶ月目

パニック障害発症2ヶ月目

仕事が、ほとんど出来ない… 。頭痛、嘔吐、めまい、外に出るのが怖い… 。 次第に先輩たちからも相手にされなくなった。
コンスタンは、毎日服用を言われていたが、恐怖のあまりついつい多く服用。メチャクチャな状態…。心療内科にも行けない日々。
会社から「健康保険料逆に払ってもらいたい」という電話あり。この頃、傷病手当金、とか知識もなし。ひたすら毎日恐怖と過ごした。
そして再び会社からの電話で退職を申し出る… 。動悸、頭痛、めまい、嘔吐、外出恐怖… 本当に「うつ病」か?
この頃、広場恐怖が強く、完全引きこもり状態。

パニック障害発症から3ヶ月目12月

パニック障害発症から3ヶ月目12月image
パニック障害発症から3ヶ月目12月

12月2日だったか、「うつ病」を調べても気持ちが沈む事があるが、無気力さは全く無く、むしろ動きたいけど動けない、と言う感じ。
PCで調査。症状からいろいろ調べる。似た症状の人発見。しかも大阪。おっ!「パニック障害」?何それ… 。

その晩、妻に相談。「明日心療内科行ってくるわ。」
久々の外出は、恐怖そのもの。車で病院へ、渋滞が怖い…、踏切が怖い…、狭い空間が怖い…、
病院の待合室の光景、今でも覚えている。白い扉が開いて診察室へ。いつから、どんな症状、どれくらい続いてるか、現在の症状「パニック障害」との診断。今の私の主治医との出会いだった。

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